塵地螺鈿金銅装神輿

[誉田八幡宮] に関するエピソード
この神輿は建久七(1196)年に鎌倉幕府をひらいた源頼朝(みなもとのよりとも)が社殿を建てた時に、薙刀(なぎなた)や神馬鞍(じんばぐら)とともに寄進したと伝えられます。高さ 218.6cm、長さ 338.3cm、幅 141.6cmの大きさで、神霊が本社から応神陵古墳に渡御(とぎょ)する時の乗り物です。屋根の頂上には金銅製の鳳凰(ほうおう)をのせ、全体を黒漆で塗り、所々に宝相華文(ほうそうかもん)の文様を彫った螺鈿(らでん)で飾っています。また、四方に下げた帳(とばり)は茶地唐花唐草文の銀襴(ぎんらん)で、赤地の比礼(ひれ)とともに当時の錦織物(にしきおりもの)が現存する珍しいものです。
鎌倉時代初期の製作で、現存する神輿の中でも最古級のもので、建築・漆工(しっこう)・金工・染織など当時の工芸技術を知る上で貴重な資料です。
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