誉田宗廟縁起

[誉田八幡宮] に関するエピソード
上・中・下の3巻からなり、詞書(ことばがき)と絵が交互に配されて物語が展開する構成です。絵は伝統的な大和絵の画風を引き継ぎ、長大な画面を整えて描くなど当時の優れた技法によるものです。おそらく当代一流とされる土佐派絵師(とさはえし)によって描かれたものと思われます。縁起は応神天皇が亡くなって古墳を造ることに始まり、欽明(きんめい)天皇の命によって古墳の前に社殿を建て、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)を迎え入れ、誉田八幡神の霊験(れいげん)を得て民衆に益する様子を説いています。
奥書には室町幕府の6代将軍足利義教(あしかがよしのり)が永享五(1433)年に奉納したことが書かれています。また、各巻の巻末には狩野探幽(かのうたんゆう)による極書(きわめがき)があり、絵の筆者を当時の宮廷の絵所預(えどころあずかり)、土佐光信(とさみつのぶ)と推定していますが、真意の程は不明です。
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