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羽曳野周辺に人が居住しはじめたのは、今から約2万年前の旧石器時代でした。
古代には歴代の皇族や有力氏族の活躍の舞台となり、数多くの陵墓や寺院が造られ、これが現在の羽曳野市の礎になりました。
11世紀には源頼信が河内の国司に任ぜられ、以後、頼義・義家までの3代が、河内源氏として壺井の里を本拠としていました。
南北朝以降は、いくたびも戦場となりましたが、戦国末期になると織田信長や豊臣秀吉の支配がおよび、安定の時代に向かいます。
豊臣氏の滅亡後は、江戸幕府や、小藩、旗本の領地となり、分割支配の政策がとられた一方で、河川の改修工事や新田開発も行われ、綿花や菜種(なたね)の栽培が盛んになりました。
江戸中期以降、古市に代官所が設けられ、竹内街道と東高野街道が交わる宿場町、西琳寺の縁日にちなむ市場町として発展、両替商「銀屋」や、河内木綿などを運んだ剣先船の船着き場が設けられるなど、南河内一の繁盛ぶりを示していました。
明治に入ると各村落の統合が進められ、22年(1889)には、高鷲、丹比、埴生、古市、西浦、駒ヶ谷の6村にまとめられました。
大正5年(1916)、人口が増加した古市村は町制を施行しました。
12年(1923)に天王寺-道明寺間が複線化されると、大阪市内との結びつきがいっそう強まり近郊住宅地としても発展しました。
昭和に入り、30年(1955)には高鷲村も町制を施行。翌31年(1956)9月、2町4村が合併して南大阪町が誕生しました。
34年(1959)1月15日には市制を施行。名称を羽曳野市と改め、現在の市のすがたができ上がりました。この年、35,000人余であった人口は、平成21年(2009)1月現在、約120,000人となっています。
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羽曳野市の駒ヶ谷地区では、主にデラウェア種のぶどうが栽培され、全国第4位の出荷量を誇っています。またそのぶどうを使用したワイン作りも古くから行われてきました。

古市地区を中心に栽培されるイチジクは関西では随一の生産量を誇ります。またちょっと珍しいイチジクを使ったジャムも上品な甘さで人気の商品です。
これらの特産品は「道の駅 しらとりの郷 羽曳野」にてご購入いただくことができます。
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